今日は残りの人生の最初の日
自分の人生があとどのくらいあるのかは誰にもわからないことだ。
これまで生きてきた時間から、人生は思い通りにならない自分1人では動かせない重たい石のようなものであると、うっすらというかかなりくっきりと感じている。
成功することを強く求めすぎてしまい、失敗を恐れ、気づいたら時間だけが過ぎていたような人生だ。
そんなんじゃつまらないさ。 失敗も成功もしてないんだから。
少しずつ動いてみるんだ。
明日は今日とは違う何かを試してみよう。
今日は残りの人生の最初の1日なんだから。
人に教えることは自分を助けることを実感
(2017年8月4日一部加筆・修正しました)
ブログを辞めた理由、再開する理由を書いたところで誰にとっても意味を感じないので書かないことにする。
裏の話は書くのはやめました
今日は自分の現在の話を書きます。
私の仕事は「講師」。
説明する側、聞く側のどちらとも聞きたくない内容もとりあえず説明することもある。
やりがいらしきものを感じることも少ない。
唯一ありがたいと感じていることは、
「相手から出る質問・疑問に答えることで自分の理解が深まること」だ。
自分の伝え方ではうまくいかなくて他の伝え方を探したり、日々しどろもどろになりながらもなんとかやっている。
そのためだけに続けているのだろうと考えている。
自分の理解が足りないことを人に説明するのは簡単ではない。
人に教えることで自分の理解を深めている。
以前どっかで同じことを書かれている記事を読んだ気がするが、自分がそういう状況になってみて、真の意味で実感できている。
なにごとも自分が体験してみて初めて実感できるものだ。
毎日更新が途絶えたので、仕切り直しです。
どーも、sakです。
日記として始めたこのブログですが、毎日更新を目標に書いてきました。
だれトクブログですが、毎日更新が途絶えてしまいました。
2015年10月26日
ブログを書かなった日として覚えておきます
理由は体調が悪かったことです。
健康の大切さを思い知りました。
1年連続更新したことを報告しているブログがありましたが、継続できることはホントに尊敬します。
以前のエントリーで目標を書きましたが、
-300日続けること
-読者500人
仕切り直して頑張ります。
【日記】GUの安スニーカーに不満がある。
どーも、sakです。
今日は自分が履いているGUのスニーカーについてのぼやきです。
圧倒的な価格の安さで今年初めて買ってみました。
履き心地は値段からすれば合格点です。
ただこの靴にはどうしても不満なことがあります。
何がめんどくさいかというと、気をつけて履かないとすぐにベロを巻き込んでしまうのですね。適当につっかけるだけでは上手く履けないスニーカーです。
GUの激安スニーカーを買って半年 現状・履き心地を書いてみる - 大学院生のネットワークなブログ
引用元はこちらのブログです。
ここをぜひ改善してほしい。
油断するとベロの部分が織り込まれてしまって靴下の柄がまるでデザインかのようになるので、
「そういう靴なんですか?」
「ベロが入り込んでしまうんです」
「(なんかこの人だらしない)そうなんですね」
ってなってるんです。
よろしくお願いします。
馬鹿にしないでしよー そっちのせいよ
【日記】健康じゃないと何も始まらない。
こんばんわ、sakです。
ブログのモチベーションが下がっているところに、謎の倦怠感に襲われ、昨日今日と仕事するのが精一杯でした。
今日も帰宅後、お風呂につかり、今まで泥寝しました。
少し体調は戻ってきた気がします。
健康じゃないと、何もする気がおきないから、
ネットもしない。
twitterもブログも星ドラも。
健康の大事さを痛感しました。
みなさんも健康第一ですよーー。
【日記】「よろしかったでしょうか」が正しいらしい
どーも、sakです。
最近はブログを書くモチベーションが大きく下がっていることを実感してます。
続けることが嫌なら辞めればいいだけなんで、更新が止まったところで大した問題でもないです。
「よろしかったでしょうか?」という敬語にどんな反応しますか?
私は耳にすると、間違った敬語を使う人として、人間力を少しだけ減点しちゃいます。
おじさんやおばさんの口から聞く機会が以外と多い。
ただこの「よろしかったでしょうか?」が正しい敬語である説があるらしいことを知ってしまった。
「よろしかったでしょうか」は「(あなたの判断はもう聞いたはずだが)私の認識はこれで間違いないか」と自分側の事柄を確認する表現
ソースは日経新聞。
実は丁寧な表現とのこと。
正解はどっちなのか双方の言い分があってはっきりできないのかもしれない。
「よろしかったでしょうか」をリアルに使っている人は自分が使っていることに気づいていない人が多いので、この記事やニュースをみても、自分のことを言われていると気づかないのが一番の問題なのだ。
敬語なんてそのうちなくなるんだろうな。
【日記】人のふり見て我がふりなおせ
どーも、sakです。
今日は初対面の方とお話をする機会がありました。
話をする中であることがどうしても気になってしまいました。
食い気味で話してくる
こちらがまだ話終わってないタイミングで話し始めてしまうんです。
途中からはどれくらい食って話してくるか、秒数を頭でカウントしてしまいました。
食い気味で話をするのは印象が悪い
緊張があったのかもしれませんが、相手には決して良い印象は持たれません。
実際に私が相手に持った印象は
「この人は相手の話を最後まで聴けないタイプ」かもしれない
でした。
自分は食い気味で話してないか
もう一つ気になったのは、自分は相手の話を聞いてから、話し始めているか、 食い気味になっていないかでした。
私は比較的せっかちなタイプなので、話をこちらから先に進めようと促してしまうちょっとした癖があります。
相手が的を得ない話をダラダラしてきたりすると、特にこの癖が出てしまいます。
人の振り見て我が振りなおせ
まさに人のふりで気になることがあるなら、自分のふりをなおすきっかけにしちゃいなっていうありがたい言葉です。
自分のダメなところを変えるのは難しいですが、自覚することができれば、同じ失敗を避けることはできるかもしれません。